奥板橋って




初めに、奥板橋という正式な名称はありません、簡単に言い換えてしまうと板橋北部地域のことを指してます。

なんかそっちの方がカッコいいので、勝手に名付けて私が呼んでいるだけ。でも一応理由はあるにはあります。

具体的な場所としては、画像で貼り付けたあたりの地域ですが、おおよそ東武東上線の上板橋駅から成増駅より北側の地域(そもそもその南側は練馬区ですが)で、三田線は本蓮沼あたりから西高島平までが含まれます。北は荒川を超えると埼玉なので荒川までです。道での区切りとしては、板橋本町から上板橋まで富士見街道という道が通っていますが、その富士見街道の外側と言ってもいいかもしれません。

マイナー路線である都営三田線は、終着駅は西高島平という板橋区のギリギリのところにありますが、元々は埼玉まで延伸して、東武東上線に繋げる計画がありました。ですがその計画は頓挫してなくなり、この辺りの住民以外は一切利用しない路線となってしまいました。

北側には埼玉県との境界で荒川があるので、容易に行き来もできません。

さらに画像の高低差マップからも分かりますが、徳丸、赤塚、西台、中台辺りの地域は、荒川の低地と武蔵野台地の境で、坂が激しく入り組んでおり一般人を寄せ付けません。

このように板橋北部地域は、電車は行き止まり、北に向かえば荒川を越えられず、南に向かえば坂に阻まれるという非常に奥まった23区の秘境のような場所なのです。

また、江戸時代に江戸幕府が江戸の範囲を定めた朱引というものがありますが、ちょうど江戸時代の朱引外(すなわち江戸ではない場所)とも重なります。なので今は東京ですが、江戸ではなかった場所なのです。

このような場所なので、個人的には奥板橋という名前がぴったりかなと思っています。

コメント

このブログの人気の投稿

徳丸六丁目 『天神坂』

戸田橋〜笹目橋をランニング

都営新河岸二丁目アパートの建て替え